翻訳:[崩壊3rd×新世紀エヴァンゲリオン]インタビュー

この記事は、下記動画の英字幕を日本語に翻訳したものです。

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中国語を意訳された英語をさらに日本語に訳していますので、多少のニュアンスの違いがありますが、ご容赦ください。

 

 

インタビュアー
艦長の皆さん、こんにちは!崩壊3rd特別企画へようこそ。皆さんご存知の通り、エヴァンゲリオン(以下、エヴァ)はmiHoYoにとって特別なものです。創業者の一人であるCaiさんは毎年夏になるとエヴァのTシャツを着てるらしいですけどほんとですか?

大伟哥
ええ。

インタビュアー
さて、ついこの間、崩壊3rdとエヴァのコラボが発表されました。そこで今回はスペシャルゲストをお呼びしました。若かりし頃の話や夢、エヴァへの愛について語ってもらいましょう。では紹介させていただきます。まずはリードアーティストにしてキアナの生みの親、Ciciさん!どうぞ!

Cici
みなさんよろしく!

インタビュアー
次は皆さんご存知、大伟哥! (注:大伟哥=伟アニキ、の意味)

大伟哥
みなさんこんにちは!

インタビュアー
最後はこの人、崩壊3rdに長く携わってきたプログラマーの一人、天文さん!

天文
どうぞよろしく!

インタビュアー
まずは、エヴァとのコラボについてどんな気持ちか聞いてみたいと思います。

大伟哥
「会社の金でオタ活してやったぜ」という感じ。

インタビュアー
エヴァで好きなのは誰ですか?

大伟哥
ミサトかな。

インタビュアー
天文さんは?

天文
アスカ!

インタビュアー
Ciciさんは?

Cici
あの眼鏡の....

天文
マリ?

Cici
そうそう、マリ。

インタビュアー
大伟哥はなんでミサトが好きなんですか?

大伟哥
うーん、年齢の問題かな。エヴァを見たのが2000年頃だったから。

インタビュアー
つまり大人の女性に憧れが?

大伟哥
というわけでもなくて。少年には抗えないものというか。ミサトのいうところの大人の愛というのが凄く衝撃的で。

インタビュアー
なんとなくわかります。「美人でかっこいい、理想のお姉ちゃん!」って感じがしますよね。

大伟哥
そうそう。十代男子には夢のような存在だった。

インタビュアー
エヴァを見てから何か変わりましたか?十代の頃に見たということですけども。心理的に何か影響を受けたりとか。

大伟哥
エヴァが僕らに凄く刺さったのは、多分主人公のせいかな。典型的な少年漫画の主人公って感じじゃなかったから。彼は凄く明るいとか、前向きとかじゃない。混乱してて、迷ってて、悩んでる。そういうところが、共感できた気がする。あの年頃は、みんな未来が見通せない。あと、女の子にときめいちゃう。エヴァの主人公にもそういうところがあって、だから親近感を感じられる。

インタビュアー
あ~、似たようなことを聞いたことがありますね。30過ぎたらエヴァは見るな、中二病になるぞ!って。大伟哥は自分が中二病だと思います?


大伟哥
当時は間違いなく。

インタビュアー
じゃあ今は?

大伟哥
社会の波に揉まれたし、たま~に発症するくらいかな。

インタビュアー
ところで、miHoYoの処女作はFly Me 2 The Moonという作品ですよね。崩壊学園が1作目だと思われがちですけど。エヴァのエンディングソングもFly Me To The Moonって名前ですが、何かつながりがあるんですか?

大伟哥
アレを作ったのは2011年で、当時まだ大学生だったCiciがうちにきたのもその頃だね。エヴァのエンディングソングだったFly Me To The Moonを元ネタにして、魔法少女が月へ飛んでいくって話のパズルゲームを作ろうとしてた。だから、あの歌が元って言うのはその通りだね。

インタビュアー
あの歌を聞いてゲームを作りたいと思った、ということですか?

大伟哥
そう、あの歌が大好きだったから。

インタビュアー
あのゲームの主人公はキアナに似ていますよね。Ciciさんの中では既にキアナのキャラ設定が固まっていたんでしょうか?元となったアイデアみたいなのはありますか?

Cici
当時僕は大学四年生の後期課程で、インターンシップで大伟哥達に会って。その時、このキャラを作ってくれ、って頼まれた。言ってみれば委託かな。

インタビュアー
委託されるのは初めてだったんでしょうか?

Cici
いや、その時にはもういくつかアニメーションとかそういうプロジェクトに関わってたから。

大伟哥
そこで彼に目を付けた。

Cici
といっても、いわゆるアニメとかゲームに関わったことはほとんどなかった。でもキアナをデザインする仕事には心を打たれた。大伟哥は趣味とか興味を仕事にしようとしてた。それが僕にとっても一つのターニングポイントになった。

インタビュアー
それで、アニメとかゲームとか関係なくやってみた、ということですね。似たような経験が私にもあるんです。私は学校でアニメクラブを作るくらいアニメが好きで。2011年に皆さんが崩壊学園を作り始めたころ、私は就職したんです。当時は、職場で「アニメが好き」って言うと、変な目で見られました。皆さんも、「オタク向けのゲームを作る」ことに関していろいろ言われたんじゃないかなと思うんですが。

大伟哥
言われたね。2011年当時は"2次元"って言葉がそんなに浸透してなかったし。僕たちは、自分たちの好きなもの、つまりアニメとかコミックとかゲームをまとめてACGって呼んでた。当時は今と違って、アニメファンであることを誇らしげに公言するのは憚られてた。だけど、あの頃のアニメファンは今よりずっと純粋で筋金入りで。インターネット上でも中々そういう人と知り合うことはできなかったけど、一度知り合うと、すぐに親友になれた。

で、Ciciとの出会いを思い出してみると、僕らは上海交通大学コンピュータサイエンスを学んでたんだけど、一切関わりがなかった。でも、僕らの好みとか理想のキャラを作り出そうと思って、そういうキャラデザインを実現できる人材をインターネットで検索したら、Ciciの名前がいろんなところで見つかったんだ。QQ(当時の中国最大手のコミュニケーションツール)にも載ってた。Ciciは4年生だったけど、個人的に会ったことが無かったから、オンラインで声をかけて、僕らの思いをぶつけてみた。それで一緒に仕事することになった。すごくピュアでしょ。

インタビュアー
シンプルですね。

大伟哥
といっても僕らは貧乏学生だったから、大した給料は払えなかったんだけど。でも、互いに会ったことも無かったのに、Ciciへの委託の話はすぐにまとまった。今思うと、ああして気の合う人は当時全然いなかった。懐かしい。

インタビュアー
確か学生会の幹事をしてたんですよね?みんながあなたのことを知ってて、中にはかわいい女の子かっこいい男の子もいて。要は、リア充生活を送れる環境にあったんじゃないかなと思うんですが。

大伟哥
いやいや。なんていえばいいかな。僕はぼっちだったんだ。部活にも入ってなかったし。留学に行く予定だったけど、2008年の金融危機でその話はボツになった。それで、同じ大学の大学院に進学する推薦を受けざるを得なくなった。その時、「ここであと数年過ごすなら、もっとアグレッシブになってみよう!」って思った。だから、大学院が僕の人生の分水嶺ってことになる。部活にも入ってなかったし誰とも関わってこなかったけど、大学院に入ってすべてが変わった。

インタビュアー
なるほど。成績も進学も問題ないし、せっかくだから友達を作って遊んでみようと思ったんですね。

大伟哥
当時僕はデュアルディグリー制度(複数の学位を取得できる留学制度)を使って上海交通大学ジョージア工科大学に学籍を置いてた。同じ制度を利用する学生を取りまとめる役が必要とされてたから、勇気を出してそれを引き受けてみた。で、それもあって全学生の代表に選ばれた。あの経験があって、起業して今に至る、という感じ。当時はこんなの想像もしてなかったけど。

インタビュアー
スタートアップコンテストで、作ったゲームを紹介する大伟哥の映像を見たことがあります。まだ不慣れで可愛かったです(笑)あのプレゼンはオーディエンスから笑われたり、あまり理解されていないようでした。誰からも見向きもされず、売れるかわからない状況でも努力を続けられたのは何故ですか?

大伟哥
それは2011年にFly Me 2 The Moonを発表した後の映像だね。全然売れなかったけど、あれでおしまいにしたくなかったから、スポンサーを求めて大学発スタートアップのコンテストに、チームを代表して出場した時の。アニメやゲームが主流ではない中で、僕たち学生のチームには苦難の状況だった。オーディエンスだけじゃなくて審査員もそうだけど、馬鹿にされたとは思ってなかった。ただ、理解されなかっただけ...それか、さっき君が言ったみたいに、未熟で初々しいなと思われてたのかも。それでも諦めなかったのは、ACGに対する愛とか、純粋でシンプルな気持があったからだと思う。ACGの市場がここまで拡大して、僕たちの作品が広く愛されるようになるなんて、誰も、僕たちですらも予想できなかったし、先のことは考えず、凄く純粋な思いでやってきた。愛するACGを仕事にするんだ、って。それからいくつものコンテストに出展して、プロジェクトを紹介して回った。ほとんどの投資家には出資を断られたけど、ある投資家が唯一、百万元の出資を決めてくれた。あれがなかったら僕たちはここにいなかった。本当にラッキーだったよ。好きなことに取り組むのは全然苦じゃなかった。まだ学生だったからというのもあるかな。むしろ、夢に挑戦できて活き活きしてた。

インタビュアー
「前を向いていれば小石は気にならない」ということわざを聞いたことがあります。Ciciさんと天文さんはその時既にチームにいたわけですが、チームとして活動する中で何か困難はありましたか?大伟哥が中々資金を獲得できなかったことや、第一作目の出来があまり良くなかったことなど、何か思うところがあったのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

Cici
家族にも同じことを聞かれた。いつ広州に帰って来るんだ?上海で仕事する必要があるのか?って。「会社が潰れたら帰るよ」って返したけど、思った通りにはならなかった。


インタビュアー
会社はもうすぐ潰れるし、故郷に帰って家庭を持とうと思っていたのに、会社はどんどん大きくなって今に至るわけですね。

大伟哥
そうそう、だからCiciはまだ結婚してない。

インタビュアー
内心焦ってらっしゃると。

Cici
話を戻すけど、僕はアート関係のタスクにしか関わってなかったから、大きな問題には直面しなかった。他の人は違ったみたいだけど。彼らはゲームそのものを作っていて、その責任を背負ってるし、やったことの無いこともやらなきゃいけない。当時はゲームのドメイン名を登録するのも難しかったけど、大伟哥はやり切った。いろいろと困難はあったけど、やれることをやるだけだったから大丈夫だった。

インタビュアー
プログラマーの業務はどうでしたか、天文さん?

天文
僕もそういう"面白い"時期にプロジェクトに参加した。大伟哥と同じで、上海交通大学の大学院に入ったとき、世界の本質を悟ったような気がしたね。あれは崩壊学園がまだリリース前の冬、僕は休暇を使って帰郷せずに、大伟哥とLuoさん(崩壊学園のプロデューサー)が借りてたアパートで過ごした。

インタビュアー
小さなアパートにこもってみんなでゲームを作っていたわけですね。はたから見ると怪しい(笑)

天文
確かに。

インタビュアー
第一作目となるFly Me 2 The Moonをリリースした後、崩壊学園が作られるまでにはどのような経緯があったのでしょう?

大伟哥
崩壊学園開発にはいろいろあった。Fly Me 2 The Moonがあまり売れなかったから、不満があった。僕たちはもう卒業してたから、2012年に起業することにした。会社としては儲けないとやっていけないから、どんなゲームを作ればいいか考えた。運命っていうのは本当に奇妙で、どんなゲームを作ろうかと悩んでいた時、Appstoreにゾンビタウンって言うゲームが登場した。ゾンビを撃つ横スクロール型のゲームで、すごく面白かった。絵はアメコミ風でシンプルなグラフィックだったんだけど、これをアニメ風にしたらいいんじゃないかって思った。実はその頃偶然、僕たちは「学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD」ってアニメにハマってたんだよね。ゾンビタウン...ハイスクールオブザデッド...ピンときた。

インタビュアー
そして閃いたと。

大伟哥
そう、閃いた!で、崩壊学園が出来た。崩壊学園のイラストやアニメーションは全部Ciciが作ってくれた。

Cici
アレが僕たちの2つ目のプロジェクトだったけど、1作目よりもかなり意欲的だった。
なのにオフィスにいるアーティストは一人だけ。

インタビュアー
それがCiciさんだったわけですね。

Cici
そう。原画、アニメーション、特殊効果、全部やった。
今見ると未熟も未熟。

大伟哥
当時で言えばめちゃくちゃ凄かった。

Cici
状況が状況だったから、何でもやらざるを得なかった。

インタビュアー
多大な時間と労力をかけて制作された崩壊学園のおかげでようやくお金が入ってくるようになったんですよね。その時の気持ちはどうでしたか?

大伟哥
今でもはっきり覚えてるし忘れないと思う。2014年の1月26日、まだ小さなプラットフォームだったbilibiliでゲームをリリースした。崩壊学園のHPも作ってね。初日の売り上げは10万元だったかな?もう有頂天だった。人生でこんなに稼いだことはなかったから。初日なのに、プレイヤーが10万元も課金してくれたことが、本当に励みになった。
2日目には20万元、3日目には旧正月が近いこともあって40万元の売上があった。毎日夢のような気分だった。

インタビュアー
ベッドに横たわって、10万元、20万元...と数えていると王になったような気分になりそうです。

大伟哥
売り上げは全て僕の個人的なAlipay(中国の決済サービス)口座に入るようになっていたんだけど、残高を見るたびに増えていくのは感動的だった。

インタビュアー
そのまま持ち逃げ、なんてことが無くて良かったです(笑)

大伟哥
残高ページを更新するたびに数字が増えていくのはほんとうに興奮した。この歳で100万元も口座にあるなんて!ってね。


インタビュアー
みんなで努力と愛をつぎ込んだものがうまくいったら、誰しもそうなる気がします。この成功があって、大伟哥の信念はより強いものになったんじゃないでしょうか?

大伟哥
うん。1週間くらいはずっと有頂天だった。旧正月だったし。でもその後で悔しい思いもした。後から後から問題が出て来て。サーバーが毎日のようにダウンしたり、課金システムに障害が起きたり、いろいろ。だから、浮かれていられたのは1週間そこらで、そのあとは毎日新しい問題に直面することになった。そんなことがあったから2014年はたぶん今までで一番大変な年だった。白髪になったのもその時。

インタビュアー
謎が解けました。
崩壊学園がリリースされたとき、従業員は何人いたんでしょうか?

大伟哥
Ciciと天文を入れて7人。

インタビュアー
そんなにたくさんの問題に対処しなきゃいけなかったのにですか?

大伟哥
そう、7人。

インタビュアー
来る日も来る日もバグ修正をして....広報も苦労したんじゃないでしょうか。「水晶が買えないぞ!!」ってプレイヤーに怒られたり。

大伟哥
そうそう。実は2013年は僕がカスタマーサポートをやっていたんだけど、2014年はその役が誰もいなかった。それで僕がまたカスタマーサポートを再開したんだけど、量的に無理があったから、この仕事に興味のあるプレイヤーを募集して雇うことにした。

インタビュアー
つまり、最初期からいるスタッフの一部は最古参のプレイヤーなんですね。

大伟哥
一部じゃなくて全員そうだよ。

インタビュアー
皆さん聞きましたか?miHoYoに入社したい方、ぜひどうぞ!

大伟哥
世界中のプレイヤーを歓迎する。技術オタクよ、ともに世界を救おう。

インタビュアー
崩壊学園は横スクロールのシューティングゲームですね。私も遊んだことあるんですけど、崩壊3rdとは全く違うゲームですよね?私は芽衣に声を当てることになっていたんです。崩壊学園の時にオーディションを受けて、採用されたのは崩壊3rdでのことですが、崩壊3rdを見た時本当にびっくりしました。えっ?何これ?こんなに進化したの?って。こんなに凄いゲームが出るんだって、興奮して手が震えちゃいました。2D横スクロールの比較的シンプルな崩壊学園から、まるで別物のような次世代アクションゲームにどのように発展していったのでしょうか?

天文
確かに、崩壊学園は単なる2Dゲームだった。でも、僕たちは、アニメみたいな二次元的なものが2Dでしか表現できないってことは無いと思ってた。その時既に、そうした境界を越えていこうとしてるゲームがいくつかあったから。崩壊3rdを作るときは、GUILTY GEAR XRDのトゥーンレンダリングを参考にした。手描きの2Dアートを3Dに出来るんだってあのゲームが証明してくれてた。そういうのを組み合わせて、3Dアクションゲームを作ることにした。

Cici
プレイヤーの期待を超えたいって言う思いもあった。2Dから3Dへ、直線的なステージからオープンワールドへ。そういう思いから進化させてきたけど、もちろん簡単なことじゃなかった。崩壊3rdプロジェクトが始まったとき、誰も3Dのプロジェクトをどう進めればいいかわからなかった。オープンワールドのコンテンツを作ろうとしたときも、経験のあるメンバーはいなかった。でも、それが僕たちの確固たる目標だったし、ファンの期待を超えるにはやるしかないと思った。崩壊3rdで初めてキャラクターを作ろうとしたとき、2Dから3Dにする方法は誰もわからなかった。最初のキャラクター、キアナのモデルを作るのに6か月かかった。

インタビュアー
一人のキャラクターに6ヶ月もですか?

Cici
設定画、モデル制作、アニメーション、これを全部やるのに6か月かかった。けど、あとで全部ボツにした。今のシステムに至るまでに、何度も何度もやり直した。本当に、長くて険しいプロセスだった。

インタビュアー
3Dゲームを作ることにしてから多くの問題に直面したということですが、今の自分たちにはまだ早いんじゃないか、技術もリソースも足りないし、このアイデアはボツにしよう、と思ったりはしなかったんでしょうか?

大伟哥
天文やCiciも言ってたけど、僕たちにはある哲学があって、それがこのチームの強みだと思ってる。僕が着てるTシャツにプリントされてるけど、「sth new, sth exciting, sth out of imagination(新しいもの、わくわくするもの、想像を超えるものを!)」。僕たちは常に、ユーザーの期待を超えるものを作りたいと思ってる。いろいろと困難があるのは分かってる。でも、道の先にある技術的・芸術的・設計的な問題に、どんなにコストがかかろうとも、技術オタクの魂をもって取り組む。そうやって、小さな会社だったのに崩壊3rdを作ることができたし、国内で誰もオープンワールドのゲームを作ろうとしなかった中で原神を作ることができた。こういう成果も全部、技術オタクとしての信念の為せる業。アーティストもデザイナーもプログラマーも、チーム全員が心からの技術オタクで、一つの信念を持ってるからできたこと。

インタビュアー
それがmiHoYoのスローガンですね?Tech otakus save the world!(技術オタクが世界を救う!)

ところで、社名はどのようにして決まったんでしょうか?誰が名付けたんですか?

大伟哥
単なる偶然で決まった。起業を決めた時、みんな頭をひねって考えてた。

インタビュアー
名前を考えるのって本当に難しいですよね。

大伟哥
そう、ところでmiHoYoにHとYが入ってるってみんな気づいてた?共同創立者の一人がCai Haoyuって名前で、hとyが入ってる。共同創立者はもう一人いて、それがLuo Yuhaoって名前で、これもhとyが逆の順番で入ってる。社名はこれにちなんでつけた。

インタビュアー
なるほど。崩壊3rdにエヴァのオマージュとして取り入れた要素はありますか?

天文
崩壊3rdだけじゃなく、崩壊学園の頃からエヴァのオマージュはある。一部の実績の名前とか武器のスキル名、それからエフェクトにもそういうのがあったり。崩壊3rdで言えば、キアナのバトルスーツ白練はエヴァのプラグスーツにインスパイアされた部分がある。崩壊シリーズは全体として、ストーリーや世界観がエヴァと似通っているところがある。例えばエヴァ使徒と、崩壊の律者とか。崩壊という現象も、エヴァで言う"インパクト"みたいなものだし。最近追加された後崩壊書の最終ステージにもエヴァのオマージュがある。主人公がどんどん力を解放していくんだけど、それが"崩壊汚染率"で表現されてる。崩壊汚染率は20%から始まって、30%に上がり、最終的に400%まで跳ね上がる。400%というのはエヴァで初号機がゼルエルと戦って暴走したときのシンクロ率と同じ。

インタビュアー
なるほど!

天文
主人公が覚醒するシーンまでの流れも、実はエヴァのシンジから拝借したところがある。絶望して、徐々に怒りが湧いてきて、それが爆発するってところとか。その爆発の瞬間に音楽が流れるのもそう。多かれ少なかれ、エヴァに影響を受けている。

インタビュアー
皆さんエヴァが大好きということですが、崩壊3rdを作り始めた時はやっぱりコラボを夢見たりしましたか?

大伟哥
いつかは、とみんな思ってた。そのために、崩壊シリーズをエヴァ並に有名にしてやろうと。エヴァがコラボする価値のあるコンテンツにするために、何年も取り組んできた。

インタビュアー
そしてもうそろそろエヴァとコラボしても良いだろう、と思ったんですね。

大伟哥
崩壊シリーズを進化させ続けて、全世界のゲーマーに愛されるようになった。遊んでくれた人は分かってくれると思うけど、今回のコラボコンテンツは本当に丁寧に作り込んだ。エヴァとのコラボにふさわしいと思う。制作チームも本当に頑張ってくれた。


インタビュアー
コラボが決まってからどれくらいの準備期間があったんでしょう?

大伟哥
コラボの計画を立てて、提案書を書いて、権利者から許諾をもらって、何度も議論してディテールを詰めて...全部で1年くらいかな。コラボ先がエヴァだって知った制作チームの仕事ぶりには本当に驚いた。みんな本当に積極的に動いてくれて、良いものが出来た。例えば、今まで1時間で済んでたようなタスクを、2時間とか3時間かけてやる。
それをみんな喜んでやってたよ。「エヴァとコラボだって?もっと時間をかけて完璧に仕上げるぞ!」ってね。そんな彼らに締め切りだのスケジュールだのの話をするときは悪者になった気分だった。

インタビュアー
「もっと仕上げたいです!私のコラボの邪魔をしないでください!残業します!」みたいな?

大伟哥
そうそう、みんなそんな感じで、興奮してたし熱狂してた。彼らが暴走しないように、悪者にならなきゃいけなかった。全部を思い通りに実装するだけの時間はないぞ!計画通りにイベント開催できなくなるぞ、って。

インタビュアー
miHoYoは誰からも愛され進化し続けるコンテンツを創るために設立されたと聞きました。この目的は果たせたと思いますか?

大伟哥
僕たちはこれが始まりに過ぎないと思ってる。崩壊シリーズが2012年に生まれてからまだ8年しかたってない。あと10年くらい、みんなに愛され受け入れられる存在であり続けられたら、世代を超えた思い出になるのかも。そうなったら、崩壊シリーズは成功したコンテンツだって自信を持って言える。僕たちは崩壊シリーズがもっと良いものになるように努力を続ける。そうして、崩壊シリーズが艦長達と一緒に成長して、人生で忘れられないような経験を与えられたらいいなと思う。そういう意味で、あと10年はかかるかなと思ってる。でも、方向性も決まってるしリソースも十分にある。一度方向を定めたら、決して後戻りはしない。大切なのは心を込めること。

インタビュアー
技術オタクの強さを信じてます!

大伟哥
エヴァとのコラボは僕たちにとっても夢のような出来事。ぜひ遊んでみてほしい。

インタビュアー
どうかお見逃しなく。ありがとうございました!

大伟哥
皆さんありがとうございました!